テンニエス『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』

肉親は家をその場所として、いわばその肉体として所有している。人々はここでは、保護してくれる一つの屋根のもとに一緒に住んでおり、よきものの所有と享楽を共にし、特に、同一の貯えによって養われており、同一の食卓で一緒に食事をとる。またここでは、死者は、あたかもまだ強大な力を有し、家族の長を保護しながら支配しているかのように、見えざる霊としてあがめられている。その結果、共同の恐怖と尊敬が平和な共同生活と共同作業をますます保証する。肉親的な意志と精神は、もちろん、家の拡がりや空間的な近さと結びついているのではない。それは、強く生き生きとしている場合には、したがってもっとも密接緊密な関係にある場合には、独力で、すなわち記憶だけで維持されうるし、たとえいかに遠く離れていても、近くにいるという感じと想像、ゲマインシャフト的な活動の感じと想像を伴っている。しかし、愛の欲求はすべて、肉体的な接近によって始めて落着きと平衡を見いだしうるものであるから、ますます肉親的な意志と精神は肉体的な接近を求め、分離をきらう。したがって、普通の人は――究極において、また一般的に――家族や身内の者にとりかこまれている時がもっとも幸福であり、もっとも楽しく感ずる。だから、くつろぐと言う場合にbei sich(chez soi―家にいる)という言葉を使うのである。