宮本常一『忘れられた日本人』
この祖父は夜一緒にねてくれる だけでなく山へも一緒につれていってくれた。ものを背負うオイコにテボをのせて、そのテボの中へ私を入れて背負っていくのである。ゆらゆらゆれていくのは たのしかった。山へいくと一人であそんだ。石をひろって来て積みかせねて見たり、木の葉をとって見たり、ときには山の奥の方までいったものである。さびし くなると大きい声で『じいやァ』とよぶ。『おーい』と返事があると安心する。こうして五、六歳ごとになると畑の草ひきをさせられはじめた。『おまえが一本 ひいてくれるとわしがそれだけらくになる』といわれる言葉についつられる。はじめ頃は一うねもとるとうんざりしたのものだが、ほめられるうれしさから、だ んだん仕事に根気がでるようになった。草とりの御ほうびといえば、ツバナ、スイバ、イタドリ、イチゴ、野葡萄、グミなどのように田畑のあぜなどに野生して いるものが多かったが、それで十分満足したのである。私がさびしくて家へかえりたくなると、よい声でうたをうたった。