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P・F・ドラッカー『ネクスト・ソサエティ』

都市社会は田舎の強制と束縛から人を開放した。そこに魅力があった。しかしそれは、それ自体のコミュニティをもちえなかったために破滅的だった。
 人はコミュニティを必要とする。建設的な目的をもつコミュニティが存在しないとき、破滅的で残酷なコミュニティが生まれる。ヴィクトリア朝のイングランドの都市がそうだった。今日のアメリカ、そして世界中の大都市そうである。そこでは無法が幅をきかす。
 人がコミュニティを必要とすることを最初に指摘したのが、フェルディナンド・テニエスの最高の古典『ゲマインシャフトゲゼルシャフト(コミュニティと社会)』(1887年)だった。しかし、テニエスのいう有機的な存在としてのコミュニティは、いまはどこにもない。回復してもいない。
 したがって、今日われわれに課された課題は、都市社会にかつて一度も存在したことのないコミュニティを創造することである。それはかつてのコミュニティとは異なり、自由で任意のものでなければならない。それでいながら、都市社会に住む一人ひとりの人間に対し、自己実現し、貢献し、意味ある存在となりうる機会を与えるものであるものでなければならない。
 第一次大戦以降、あるいは少なくとも第二次大戦の集結以降、民主国家、独裁国家いずれにおいても、都市社会の問題は政府が解決すべきであり、政府が解決できるものと信じられた。今日では、これがまったくの幻想だったことが明らかになっている。この50年間に実施された社会的プログラムのほとんどが失敗した。それらのプログラムは、かつてのコミュニティの消失によって生じた空白を埋めることはできなかった。
 都市社会のニーズは厳存するままである。解決のための資金はある。大量に資金のある国もある。しかし今日のところ、成果はいずこにおいても、あまりに貧弱である。